私が思う消費の未来:夢を消費すること

最近、食べ物にも、リゾートにも、外見を高めることにも興味がなくなってきて、

自分の”消費”への興味が変わってきたな、ということと、

時代と共に消費の形態も変わってきたな、なんてことをぼんやり考えていました。

先日伺った東京の町田にあるバンブーヴィレッジファーム
都心から人を積極的に受け入れていて、農業体験ができます。





梅雨の時期にも関わらず、天気に恵まれました。


一緒に事業をやっている、カナダ人のリリアンと。
裸足になって土に足をつける感覚に、色々と心救われてすっきりして帰ってきました。




さて、今日は、消費というテーマで最近考えていることを書いてみようと思います。


1.消費形態の変化
2.4つめの消費:創造の消費
3.原因は膨らんだお金
4.消費の未来:これから消費の手段はお金ではなくなる





1.消費形態の変化

私自身、昔は、美味しいご飯や、可愛い洋服、豪華なリゾートホテルに興味があった時期もありましたが、

最近はもっぱら、

・ご飯は食べるものより、一緒に食べる人を選びたい
・洋服はTシャツジーンズ、それが似合う身体を作りたい
・靴やフィットネスウェアは同じメーカー・デザインの色違いを数種類でオッケー
・旅行先のホテルは豪華さよりも、小ぎれいさ、安全、利便性
・旅行に行くより本が読みたい
・とにかく時間が欲しい


お金で買えない欲が増えてきて、
かつ欲しいものがシンプルになり、
自分が何が欲しいかが明確になってきたことを実感しています。




欲を満たすために、人は”消費”をして生きているわけですが、

人が求める消費は、いくつかあります。


モノの消費。
情報の消費。
体験の消費。
創造の消費。



昔はモノを消費することが消費でした。

家、車、時計、洋服、豪華な食事・・・・



その後、ネットができて情報の消費が増えました。

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月収XX円の○○な方法

ジャンクフードのようにスナック感覚で消費される、
頭の栄養にならない、消費されるためだけに作られた、表面的な情報があふれました。




そして、より洗練された、個人に合わせた体験を消費されるようになりました。

豪華なリゾート、
個室で、個人にカスタマイズされた体験・・・

それはたいてい、消費されることを目的として作りこまれた人工的な体験です。



こうやって全ての消費形態で、
消費されることを目的としてあえて生み出されたものを消費するようになり、
それは多くの人の目的になってきました。





2.4つめの消費:創造の消費


ここで、最近多くなってきていると感じるのが、

創造の消費です。


何かを自分で作る。
自分が何者かになる。


本来であれば、創造の機会は、作って終わり、なって終わり、ではなく、

創り続けること
何かの存在であり続けること

それを通じてまた新しい創造を繰り返すような世界(アートのような)

だと思うのですが、

作ることをゴールとする、なることをゴールとしてしまうような、そんな消費になっているような気がします。



そういう創造の機会が、人工的に作られて、社会の流れ、主流として他者・社会から強制され、そこに進むことが正のように感じる状態が、どの世界にも起きていると思います。



例として自分の周りで考えると:

・起業して事業創造をすること自体が、何を創るかではなく、起業すること自体が目的になっているようなケース

社畜と呼ばれる会社員を辞めることだったり、代表取締役社長(CEO)という肩書を得たいためだったりします。


・ブロックチェーンの世界では、ブロックチェーンの技術を使うから可能になる仕組みではなく、ブロックチェーンを使うこと自体が目的になっています。

ブロックチェーンでやる必要あるの?的なものがあふれている気がします。


・フィットネスの世界では、プロを目指すということ
プロになる機会(大会参加費、レクチャー費、遠征費)にお金を使い、どこかの団体が決めたルールに従い、その枠組みで競った結果、市場が強制する機会が、チャンスに見え、結果、自分が何者かになった気がします。


CEOになっても、ブロックチェーンを利用しても、プロになっても、
それを使って何かを発見し続けることが人生の醍醐味で、本当の創造だと私は思います。



でも、よく考えてみると、創造と機会いうのは、自分の夢だったことが多いはずです。


それに憧れを持ち、それに向かって真剣な努力を重ねてきたのに、
その創造の機会は、実は業界によって消費されるために作りこまれた規定だったとしたら。


自分で切り開いていると思っていた道は、

実は誰かがそこに用意しておいた(そしてそれは、他人の事業機会であったりすることが多い)ものだったり

進んでいると思っていたのに、後々振り返ると、同じ場所に立ち止まっていただけということを気づくことも多いです。


夢をかなえたのと思ったら、夢壊れていた矛盾に気づいてしまった時の落胆はすさまじいと思います。



なぜこうなってしまったのでしょうか。




3.原因は膨らんだお金


これは、消費に使う”お金”という存在が、信用によって際限なく膨張し、人間の欲望も拡大させながら、消費形態を多様にしていったのだと思います。

なぜなら、今まではお金を使うことで、満たされる欲望は正比例してきたから。

消費形態が多様になったり、
消費するものがより”価値のある”ものになったら、欲望はもっと満たされると思ったのです。



しかし、今までのように、時間を切り売りして稼げるお金には、限度があります。

お金を膨らませてきたのは何なのでしょうか?

それは、時間ではなく、信用です。

お金の価値が金に固定されなくなってから、信用を基に個人や企業はお金を借り、それを動かすことでまたお金を生み出してきた。

そのお金を基に他の主体がさらに信用を生み、信用をてこにして、お金を無尽蔵に膨らませていきました。

人は、行き場を失ったお金を使う新しい道を、作り出してきた結果、消費するものが多様になってきました。





4.消費の未来:これから消費の手段はお金ではなくなる



今間で話したことを、時間軸で整理するとこういうことなんだと思います。

a. 時間→お金→消費→満足

b. 時間→お金→消費満足

c. 時間お金→消費≠満足

d. 時間≠お金消費≠満足




時間をお金に変え、それで消費し、満足を高めてきた段階

a. 時間→お金→消費→満足


いつしか、消費することは満足に直結しなくなってきた段階

b. 時間→お金→消費満足


お金を生み出すものは時間ではなくなってきた段階

c. 時間お金→消費≠満足


そしてこれから残されているのは、消費をお金で買えなくなる、という段階がこれからくると思います。

d. 時間≠お金≠消費≠満足






このトピックは、最近自分の中での1つの大きなテーマになってます。

お金が時間とともに腐る

信用が消費の手段になる

とか、そういう社会になる可能性があるのでは?



次は、消費の向かう先をもうちょっと膨らませて書いてみたいと思います。




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