執着しないことへの執着

こんにちは!

大会まで後2カ月。
減量も加速させていかないとです。





今日のテーマは、「執着」です。
英語で言うと、オブセッション、Obsessionです。


私は、執着するという状態がすごく嫌いで、ものすごく恐怖を持っています。

なぜか?

「過去を振り返ると、苦しかったことは全て、何かにとらわれていることから来る苦しさだった」
こと、
「何にも囚われないという状態に向かって進んでいる時は、何をしていても幸せと感じられる」

という納得感があるからです。

こういう思考の状態を日常的に持つこと、もはやこれが今の最も大切な行動指針であって、目標です。



1.執着とは?

2.執着すると何が困るのか?

3.自分は何に執着しているのか?どうするのか?




1.執着とは?


私が思う執着とは、
「自分の外部からもたらされたことを理由に自分の幸福・満足・目標達成・成功を定義する状態。それが叶わない場合、その原因を外部に見出す状態のこと。」
だと思っています。(これは100%主観なので、正しい定義は各自お調べください)


執着と、似た感覚として、
愛着だったり、軸だったり、物事のポリシーだったり、色々あると思いますが、
この文章の中では上のように定義します。


執着心がやっかいなのは、自分の過去をベースにして、その外部のものの在り方を定義していることが原因だからです。


時間:自分がどれだけその人・物事と一緒に過ごしてきたか、時間を費やしてきたか
経験:自分がどれだけの資源(時間・資金・信用)を投入してきたか、どういう価値観でそれと向き合ってきたか


つまり、執着とは、自分の過去に基づいて、物事へ向き合っていることだと思います。
(未来に基づくものは、執着より、思い込みという言葉が当てはまる気がします)



2.執着すると何が困るのか?


何かに心が執着すると、物事の、適切な位置関係がわからなくなります。

物事の位置関係がわからないと、それに対する別の見え方(下記図右)が見えなくなり、一方方向のベクトルにしか思えなくなります(下記図左)。




左の状態だと、Aがないと、A'が出来ないことになります。
Aというものがなくなってしまうと、幸せなA'に向かえないことになってしまいます。
Aというものがなくなったことで、悪いA'が解消された、ということもありえます。


右は多面的に考えられている状態で、Aがなくなっても、BやCの存在もあり、
欲しいと思っていたA’が実は結果ではなく、既に影響を受けているものであることがわかったり、また別のC’の選択肢が見えたりします。



つまり、執着すると何が困るかというと、
自分の大事なものがわからなくなります。


自分で自分の価値観をゆがめてしまう。
自分で自分の可能性を狭めてしまう。


その物・人・お金・タイトル・権威を持つということが目的になると、
それを手に入れることが成功・幸福と誤解してしまいます。


手に入れることができた場合、また同じような方法で満たしてくれるものを探します。
ドラッグのような依存症と似ていると思います。


手に入れることができないと、それがないというだけで、過程が適切に評価できなくなり、目の前の物への感謝・満足ができなくなったり、自分に自信がなくなったりすると思います。

理想の世界が叶わないのは、XXがXXであるから、XXが変わらないと世界はよくならない。そう思ってしまう場合です。



例として、他人や仕事に対しての執着をあげると・・・


例1)パートナー、他人への執着

一緒にいる人から別れを切り出され、

今まで費やした時間やお金が、全て無駄になるなんて信じられないから別れたくない

結婚適齢期(もう死語かもしれません笑)だからこのまま結婚するものだと思っていたのに

あなたと結婚することで全て(お金・ステータスetc)が解決するのに

あなたがいないとこの先生きていけない

なんて感じたりすること。


例2)キャリアについての執着

いい大学に入り、大企業に入り、キャリアの階段を上り・・・
そういう世界で、その世界で求められる時間・お金・人付き合いを学び、忠実に実行してきて、そのレールに沿うこと自体が目的のようになっていた。

XX会社XX部部長という肩書でしか自分を定義することができず、
そういう土壌でしか人と関われない人は少なくないと思います。

そういう人にとって、希望しない仕事へ回されたり、出向・転籍の辞令が出たり、パッケージ(いくら払うからこれで辞めてくれ)が出たり。

会社員が定年をして抜け殻になってしまう原因も、キャリアというものへの執着から来るものだと思います。




3.自分は何に執着しているのか?どうするべきのか?


私は、執着することを怖がるあまり、「執着しないことに執着している」と思います(先日、気の合う友達に気づかされました)。


執着を避けることはできるのでしょうか?
これはとても難しいことです。なぜか?


執着が、自分の過去に基づいた、物事への向き合い方であるならば、

過去は既にある経験で、覚えている、想像がしやすい、つまり視覚的にもとらえやすいもので、未来は全て想像力に基づくものが大きいからです。


つまり、私達ができることとしては、どうありたいかという思考に基づいた物事への向き合い方に変えていくこと。


自分勝手なことを言えば、過去の経験から生まれた苦しい執着を持つより、自分はいつからでも何でもできるろいうような、幸せな思い込みにとらわれていたい。



ただ、過去を振り返ってみると、色んなものに執着しながら、裏切られ、強くなり、また別の執着を見つけてきた自分がいます。


別の執着が、ある執着から救ってくれるきっかけになっていたな、という面もあるので、
執着さんを悪者扱いしないで、あるがままに見つめて、共存していける、したたかさを持ちたいなぁとも思います。





おしまい。

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