世の中には、どの世界に行っても他人から選ばれる人がいます。
そういう人から見える世界はどんな世界なんだろう、どうしてそんな人が出来上がるんだろうと、想像する機会がありました。
お金をもっているという指標を除いて、どの世界に行っても他人から求められる人は、
人間性が豊かで、物事を人よりよく見えている人が多いと思います。
そして、そのことを自身でよくわかっています。
もちろん、それをひけらかすこともないし、自分が人より多くを見えているからと言って、他人を評価したりしません。
物事が見えているってそういうことなんでしょうね。
そういう人が共通して大変なのは、雑音の多さ。
平等に与えられた時間を、何に使うか、その選択肢があまりに多い。
チャンスも多いけれども、賢く選択していかないと、落とし穴のリスクも多い。
誰と会うのか、
なんの仕事をするのか、
どんな責任を果たすか、
多くを捨てて選んでいます
求められたことで喜んで自分を差し出してしまうだけでは、
次から次に押し寄せる外部からのエネルギーに飲み込まれてしまいます。
生活しているだけで、
普通の人よりも処理しなければいけない、決めなければいけない事柄が多いからなのか、
そういう人達は、とっても賢明な方が多いです。
そういう選択の多さが人間性をはぐくんできたのかな、と。
人間性の豊かさは、より多くの選択を意図的にしてきたかどうかというところで育まれるような気がします。
どれだけ些細な選択でも、色んな事柄を考慮して決めています。
それは、自分の立ち位置を意識して持っていないと、
自分が何を大切にしていきたいのかが外部のエネルギーによって簡単にゆらいでしまうからだと思います。
天は二物を与えずというけれど、その雑音の多さをかいくぐってきた人が
結果として二物を持つことになるということなのかも、、、
じゃあ、その人達はなんでそんなことができるんだろう?と考えると、
鋭い感受性を持っているからなんだと思います。
感受性とは、決して感情に流されやすいという意味ではありません。
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感受性:
環境内の事象の変化を刺激として感受する能力を感度,刺激に対して興奮しやすい性質を感受性という。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
外界からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力。(大辞林 第三版)
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私みたいによく涙を流したり、少しのことでめそめそする人がいますが、
本当の感受性の高さはそういう人のことを言っているんではないんですね。
選択肢
↓
吟味
↓
選択
↓
結果
↓
学び
上記のようなサイクルが成長するための1つの方法だとすると、
感受性が高い人は1つ1つの間に、感受性という掛け算が入ってくるようなイメージです。
この感受性が高いことで、それぞれのプロセスの重みが変わり、成果が最大化されるんだと思います。
選択肢
↓x 感受性
吟味
↓x 感受性
選択
↓x 感受性
結果
↓x 感受性
学び
感受性が1の場合、1つの選択の学びは1でしかないけれど、
感受性が1.1の場合、1つの選択からの学びは1.4641となります。
そうすると、1つのプロセスの深みが増します
選択肢:選択肢に気づく(選択肢が実質的にあるのにないと思ってしまうことは多い)
↓
吟味:できるだけ多くのことを考慮できるようになる
↓
選択:選ばされるのではなくて、自分で選んだという自負が生まれ、責任が生まれる
↓
結果:結果を認識する。自分で結果を定義する。
↓
学び:結果を受け止めて次へ生かす。
感受性は学びの基礎だと思います。
感受性が高すぎることを、デメリットに感じることが多い世の中ですが、
感受性が高い人は、日常の何でもないようなことから、
普通の人が考えもしないことを多く学び取っています。
普通に生活しているだけに見えて、多くの知見に溢れていて、思慮深い。
この成長のプロセスで人間性が磨かれ、
選ばれる人はさらに選ばれ続けるし、
選ばれ続けない人は選ばれ続けない。
そんな残酷な真実の理由は、感受性の違いかなと思いました。
そんな方に会うたびに、ただただ自分の至らなさを実感するこの頃です。
皆さんも、まわりにそんな人はいるでしょうか?
「うーん、選ばれたい。。。。」
そんなことを考えながらぼーっとしている図。
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