師を選ぶ:上司と親は選べない。でも、選べるとしたら?のような問い。


およそ、師を誤るほど不幸なことはない。

この記事を読んで、ふと思ったことを書きたくなりました。




私自身、パーソナルトレーニングは単発で何人かの方に受けたことがありますが、

誰か1人にずっと師事したことはないです。

頼れる人がいるのは、どんなに心強いだろうと思うことは多々ありますし、

頼りたくなったり、何かにすがりたくなったりすることもありますが、

いくつか理由があって今の状態に落ち着いています。





一番大きな理由としては、

「あまりに難しい選択すぎて、決める勇気がない」ということです。

どういうことか?

この記事がいうように、

”私たちは自分が向かっている目的地がどこであるかを知らない(だから学ぶことを求めているのである)。
にもかかわらず誰が私をそこに導いてくれるかを、旅を始める前の段階で言い当てなければならないのである。”

出典:「指折り待ってた夏休み」(内田樹の研究室 2009年8月1日)







日本のスポーツ界では一般的に、コーチングよりも、ティーチング的なあり方(徒弟制度のような)が強いように思います。


コーチング:
問いかけて聞くことを中心とした"双方向なコミュニケーション"を通して、相手がアイディアや選択肢に自ら気づき、自発的な行動を起こすことを促す手法

ティーチング:
経験主義教育、上司から部下へ教えるという感覚。OJTのようなもの。




どちらがいいという話をしているのではありません。

徒弟制度もコーチングも、その制度なりの効率の良さや美しさがあると思います。




人間の体は、昔から大きく変わることはないので、

トレーニングに関してはティーチングによるメリットがとても大きいと思います。





一方で、流れの速いフィットネス競技にチャレンジする以上、

選手自身も競技やカテゴリを勉強し、時には流れに合わせて、身の振り方を選んでいかなくてはいけない。

かと言って、何もわからない初心者は、あふれる情報の正誤や濃淡を区別できない。

その際に助けになるのが、長い経験があるからこその、本質的な問いや質の高いアドバイスだと思います。

素晴らしいトレーナーは、このコーチングとティーチングの両面を持っているから、いつもお客さんが絶えないのだと思います。






私は、流れの速いフィットネス競技にチャレンジする以上、

自分がこれから何をやりたいか、

どこへ行きたいか、

競技の何に楽しみを見出すのか、

そういうことを考えながらやっています。



そして、そういった自分の考え方は経験を経るごとに少しずつ変わります。

毎年、新しい機会があり、新しい機会が新しい見識を授けてくれるので、

目指したい世界が毎年少しずつ変わります(要するに、飽きっぽいですw)。






そして、その思考をするのに、他人への配慮を入れるのが怖いです。


誤解がないように繰り返しますが、他人のアドバイスを聞きたくないのではないです。

アドバイスが考えるきっかけになり、理解が深まることは多いです。

ただ、私は今の状態だと、師事することで「その人のために」と思考を曲げる可能性が高いです。







金融商品の投資をする時の例にたとえます。

投資アドバイザーをする人は銀行にも証券会社にもたくさんいますが、
結局投資するかどうかはすべて自己責任。

中身をよく理解しないまま、
「XX(営業)さんが勧めたから買った」とか「あの人が買っているから買った」

そうやって、コミュニティや人付き合いを選択の理由にしている人が、海外の人に比べて日本人は驚くほど多いです。

そして、うまくいかなくなった時に、自分ではなく勧めた人や、投資対象を非難します。

文化的に、個人主義ではなく集団主義で物事を決めてきたことが影響しているのかもしれません。

「投資は自己責任」というように、「トレーニングも自己責任」です。


自分で決めて失敗したことであれば、納得できます。






これは、思考や気持ち、行動の整理が論理的にできる人には、関係のないことだと思います(完璧にできる人などいないかもしれませんが)。







私のことを知っている人は分かると思いますが、私は素直でバカ正直です。

昔から体育会の部活っ子ということもあり、お世話になる方には全幅の信頼を置き信じます。

自分の思考が停止して視野が狭くなっているという意識は自分でもなくなり、無意識の中まで入りこんできます。

トレーニングについてわからないことが多いと感じるからこそ猶更、

ティーチングの要素も多く求めるからこそ、どうしても上下の関係になってしまう気がします。

そして、教わる前からそのコーチの人柄、教えるスタイルはわからない。

そして、合わないと気付いても、フィットネスという狭い世界で関係を変えるのは難しかったりすると思うのです。










私にとってフィットネスは、自分の世界の全てではなく、生活全体の効用をあげるための手段です。

「何でそれをやっているのか?」

そういうベースの思考に自分のコントロールが及ばなくなってしまうようで怖い。



うまくいっているうちはいいですが、

何か重要な決断をしなくてはいけないとき、

うまくいかなくなった時、

自分と意見が合わなかったとき、

時間が経って、過去の選択が自分の意思ではなかったかもと自信がなくなってしまう。

そうすると、後悔が生まれます。

後悔という感情はとてもよくなくて、

今まで学んだことがどれほど大きくても、すべて間違いだったのではないかと、何もかも嫌になってしまう。







そんなこんなで、

誰かに師事するということは、未熟だからするのではなく、

ある程度成熟しているからできることなのかもしれないな、

なんて最近思います。






まだトレーニングを始めて2年。

私にはまだその選択ができそうにありません。。







Q:師を選びたい、でも誰を選んだらいいかわからない。
そんなジレンマがあるときは、どうしたらいいのですか?




この記事によると、小説家の村上春樹さんいわく、こういうことだそうです↓

"僕に言えるのは、良質な物語をたくさん読んで下さい、ということです。
良質な物語は、間違った物語を見分ける能力を育てます。"

出典:「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

、、、、だそうです。




本読もう。。。。。。






そんな感じで、のらりくらりと好き勝手やっている私ですが、

ありがたいことに、積極的に関わってくださったり、

アドバイスをくださったりするメンターの方々や仲間にはいつも恵まれています。

色々な方と交わり、意見を交換して考える、今のような環境が、とても心地いいと感じています。





まだまだ未熟な私で恐縮ですが、今後ともよろしくお願いいたします。



コメント

  1. 私はあくまでも「趣味」で理想の身体を目指してトレーニングをしている身であり、競技者であるAkiさんとはトレーニングに対する取り組み方や目指すモノが全く異なるとは思いますが…私もパーソナルトレーニングの類はほぼ受けた事がありません。

    理由はシンプルで…料金がネック!(やっぱり高いと思います)
    ・アルバイトに毛が生えた程度のトレーナーに教えて貰っても得るものは無いと思っている(スポクラあるあるです)
    ・「趣味」だからこそ「自ら試行錯誤したい」教えられるまま受け身状態でトレーニングを行う事に楽しさ&遣り甲斐を見いだせない!遠回りでも自分で試行錯誤してメニューを組む事に楽しさを感じているので「私の楽しみを取らないでよ~!」という理由です。

    確かにドロップセットでヘトヘトになるまで追い込んでる時にトレーナーさんが勝手にウェイトを取り換えてくれるのはいいな…とか、スーパーセットやコンパウントセットを行いたい時に堂々と器具を独占出来るのはいいな…とか、そういうのはあるのですが(笑)

    ただAkiさんのように競技者としてのトレーニングの場合は、どうなんでしょう…ね?やっぱり信頼のおける一人の方にずっと身体とメンタルの面倒を見て貰える事で得るものも大きいでしょうし、逆にずっと同じ方と密に付き合う事でAkiさんの危惧しているようなマイナスの面もあるのかもしれませんね。

    自分語りの長文コメント失礼しました。どのような形になるにせよAkiさんにとって最良の道が開けますように…!と願うばかりです。

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  2. こんにちは!コメントありがとうございます!
    >>「私の楽しみを取らないでよ~!」
    遠回りでも試行錯誤して発見していく過程が楽しいという面はありますもんね。私もこの楽しみがあったから続けてこれたかなと思っているので、お気持ちとてもわかります。

    それと同時に、競技でも、そうでない目的でも、能力のあるトレーナーさんからの教えては、新しいものが見えて楽しみが増えていくような・・・そういう場合も多いと思います。

    そういう意味では、あまり、自分の思い込みにとらわれないべきなんでしょうね(^^)

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  3. 初めてコメントさせて頂きます。最近自分も、ティーチングとかコーチングとか、傾聴とかアドバイスとか、そういう事を考えたりしていたのもあり、非常にフムフムと思いながら、Akiさんの記事を拝読しました。
    わたしは、結構いい年で全くの初心者状態からトレーニングを始めました。なので、怪我をできるだけしないようにしながら基本的な事を体に叩き込んだら楽しいんじゃないかと考え、ネットで探したパーソナルトレーナーさんに基本的なことから教えて頂いています。
    本当に幸いな事に、そのトレーナーさんは危ない事や痛い事の回避法をきちんと教えてくださる一方で、わたしが試したいこと、こうすればこうなるんじゃないかという疑問などを聞いてくださり、それに必要な事を緩やかに教えてくださる方のようでした。教えてくださるというより、わたしの試行錯誤を見守ってくださるというか。

    が、こうしたらコーチは楽しんでもらえるんじゃないか、と思いながら目標設定している面がちょっとだけある事も自覚しています。Akiさんの記事にあった思考停止状態になってるのかな、と。

    常に何かを能動的に即座に決定し続けなきゃいけない生活(主に仕事で)の中で、自分がちょっとだけ思考停止しても良い場を作ってあげるのも、今はまあいいのかなと考えたりもします。緊張と弛緩。

    長々と自分語りで申し訳ないです。Akiさんの記事から色々考えるきっかけを頂きました。ありがとうございます!
    これからも記事を楽しみにしています!!

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    1. コメントありがとうございます。とても嬉しいです。
      ちょっとだけ思考停止する場を作ってあげるのはいいかも、というのはおっしゃる通りだと思います。能動的に情報を解釈してアウトプットしていく時・場所と、受動的な情報が流れてくるままに楽しむのは、別物ですよね。後者があるから前者がある。どちらかだけでは偏ってしまいますよね。とても共感します。

      またコメントいただければ嬉しく思います。今後とも宜しくお願い致します。

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