見えるものばかり見てしまう。挑戦する価値とは?

見えるものばかり見てしまう。


今の世の中、選択肢が多すぎるので、ついつい見える価値や目的で選択肢を選びがち。

でも、見えてるものって、他の誰かが既に実現したものにすぎない。

その誰かが見つけた価値を得るための努力は、

尊いものだけど、それが全てじゃない。



それよりも、その先に何があるかわからない選択肢を選び、

先に何も見えなくても、ひたすら突き進む。

足元だけを見て、とりあえず、1歩ずつ、前に進んでみる。

この選択肢が選べる人、継続できる人は、結構少ない。




なぜか?

なぜなら、その人にしか見えてない世界は、周りには見えていないから。

そして、そんな環境にに没していくと、
その人が見えていたと思う世界が、自分でも見えなくなって、幻のものになってしまう。



「何目指してんの?」

「XXはXXが本場なんだから」

「XXはこういうものなんだ」

「XXさんは今までの経験からして、こんなキャリアがいいと思う」

悪気がなくても、他人は過去の経験や思い込みに基づいてポジショントークをする。





Aの道を選ぶと、A’またはA''になれる可能性がある。

Bの道を選んでも、何があるかわからない、もしかしたら、何もないかもしれない。

恐怖と不安で押しつぶされそうになり、

ついつい、Aを選びたい欲求にかられる。


そんな中で、Bを選び続けるためには、ある程度孤独でいる必要がある。




自分だから見えてると思う道を進み続けること、

その結果、自分のオリジナルの思考や発見を得ること。

それが本当の価値なんじゃないかなと思う。




寿司職人になりたいと、イスラエルで修行してみたり、


ハネムーンでジャングルの奥地に行った方が、新しい価値が見つかる可能性は高い。


4年生大学を、オンラインで卒業してみる。


とか。




さて、今やってることは、誰が決めたんでしょう?

そもそも、Bという選択肢を見つけるためには、どうすればいいのか?




考えるときりがないですね。^^



そろそろブログを再開したいな。
12月を目途に、また書いてみます!






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